経済理論の意味は何か


非現実的な仮定を置くことの意味

大学でミクロ経済学やマクロ経済学を学んだ人は、必ず次のように感じたことがあると思う。


経済理論って結局色んな仮定の上に成り立っている『仮説』な訳で、絶対的な真理を表してる自然科学と違って、所詮は机上の空論だよね?
ミクロ経済学の消費者理論だって、そんな風に「合理的」に考えて商品を購入してるやつなんている訳ないじゃん。
自然科学と違って現実を完全に数学的に表せていない以上、そんな理論何の役にも立たなくね?、と。

確かに、全ての経済理論には「仮定」や「前提」となるものが置かれている。

経済学の本をめくれば、そこには「完全競争が成り立つとする」や、「全ての人が同じ効用関数を持つとする」「固定費用はゼロと仮定する」、など色んな種類の仮定があり、かつそれらがいくつも組み合わさって使われる場合が多い。

だから、そんな非現実的な前提ばかり立てていたら、その後の議論って無意味じゃないの?と感じるのは、無理のないことだ。


しかし、まずここで確認しておきたいことは、

そもそも経済理論は、現実のメカニズムを完全に記述できない。

という事である。


例えば「ミサイルの軌道予測」と「将来の景気予測」を比べてみる。どちらも「これから行われようとしている事」を対象としているのは同じだ。

物理学では、全てのモノの運動は、数々の実験から証明された物理法則から成り立っている。それ故に、ミサイルの質量や速度、発車角度など数値さえ与えれば、ある程度の結果が予想できる。一応は空気抵抗など「不確実な要素」もあるため若干の誤差はあるが、予想を大きくはずれたりはしない。

ところが経済での予測の場合はそうはいかない。軌道予測における空気抵抗とは比べものにならないほど「結果に与える無数の要素」が存在し、また「不確実な要素」が多いために、システムの完全なモデル化がそもそもできないのだ。


でも中にはこう思う人もいるかもしれない。

「いやいや、そんな事は無いだろ? どんなに困難であろうとも、"頑張れば"予測できるんじゃないの?」と。しかし、それが不可能なのである。

哲学的な何か、あと科学とか:カオス理論を参照のこと。例え自然現象である「一年後の今日の天気」すら我々は正確に予測する事ができない。社会現象である経済についても同様である)


結果に与える要素は無数に存在する以上、それらをどんどん経済モデルに組み入れたとしても、「まだ捉え残している要素があるかも知れない」という可能性を排除することができない。

また厄介なことに、要素をモデルに組み入れれば組み入れるほどモデルが複雑になり、方程式が解けなくなってしまう。

結局、現実をそのままに考えようとすると、複雑すぎて何も結論が出てこないのである。


だから「仮定」を置くことによって複雑性を排除し「単純化」する。そしてその上で、現実の経済現象を説明する。経済理論はそんなツールなのである。


じゃあ一体何のためにあるの?

ここで、次のような文章を考えてみよう。

ある財の価格が上がると、その財の需要量が減る

これは、「は?そんなの当たり前だろ?」と思うような文章だと思う。
しかし、貴方は何故それを「当たり前」と思ったのだろうか? それは単純に日常的な感覚から弾き出した結論ではないだろうか?


感覚から出た結論というのは、あくまで「自分の場合」を述べたものに過ぎず、「全ての人の場合」について説明したものではない。
ひょっとしたら、財価格が上がったけど需要量が変わらない人もいるかもしれないし、逆に増える人だっているかもしれないのだ。つまり客観的な結論にはなっていない。
そもそも、きちんと論理立てて考えた上での結論でなければ、「価格上昇 → 需要量減る」の関係を説明したことにはならない。


この関係を説明するためには、誰にとっても客観的な手法を用いて、論理の上で片付ける必要がある。それが「経済理論」であり、その意味でもある。

「ある財の価格が上がると、その財の需要量が減る」

これを言葉で言うのは非常に容易いが、それでは何も論理的な基礎付けがない。
そこで、誰にとっても客観的な数学を使って、その因果関係を誰が見ても納得するような形にもっていくのが経済理論である。

たとえ仮定を置いた上での話であろうとも、何の根拠も示さずに日常感覚に任せて「財価格が上がると、需要量が減る」と言うよりはよっぽどマシだ。少しは経済理論の意味を分かってくれただろうか。


全ての理論は仮説

「所詮仮定の理論なんて下らねぇよ。数学や物理みたいな自然科学の方がよっぽど価値あるだろ、常識的に考えて・・・。」と思う人もいるかも知れない。

しかし私に言わせれば数学も物理も、いやこの世の中全ての理論が、仮定から成り立っている理論である


例えば、数学。数学も経済学と同様、ある「前提」をおいて、そこから論理を積み重ねて様々な法則性を明らかにする学問である。

だがこう思う人もいるだろう。「数学の前提は経済学の「仮定」とは違って、常に成り立ってるものでしょ? 例えばユークリッド幾何学の公理(前提)『平行線の定理(平行線の錯角は等しい)』とか、絶対に正しいじゃん。」


しかし、ちょっと聞いて欲しい。いくらその公理が自明と言えども、あくまで「証明されていない」のだ。

そもそも公理は証明されるべきものではない。だって公理は「証明する必要がない事柄」であって、証明されたら公理じゃなくなるからだ。

Aを公理とすると、Aは出発点に他ならない。A→B→C→D→・・・となるべきであって、Aの前に例えばX(X→A→・・・)があってはいけない。

つまり平行線の定理は、それこそ日常的な感覚から弾き出した結論であり、決して絶対的、普遍的な事柄だとは言えない。 早い話、公理とは「仮定」に過ぎないのだ。

そう、絶対的真理の積み重ねに見える数学も、実は公理という証明できない「仮定」から出発しているのだ。 つまり、現実において成り立っているか分からない前提から出発しているという点では、数学も経済学もさほど差はないのである。


だから、経済理論なんて、所詮は現実で成り立ってないような仮定から始めてるんだろ?

 そんなのって『絶対者がいる』っていう仮定から始めてる宗教と同レベルじゃんw

 この世で完璧な理論なのは科学だけさ。
、 なんていう人は、自ら首を絞めていることになりますね。


First Written: 2006.12.10
Last Modified: 2009.07.11
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